2006-05-10 第164回国会 衆議院 厚生労働委員会 第20号
これは、慈恵医大病院事件などに代表される、昔の人体実験的な考えの残る一部の医師に対して特に必要です。医療者から見て、まともな医療を施したとは思えない犯罪的なケース。どの業界であろうと犯罪は犯罪として裁かれるべきですが、証拠隠滅が容易であるのがネックになっています。
これは、慈恵医大病院事件などに代表される、昔の人体実験的な考えの残る一部の医師に対して特に必要です。医療者から見て、まともな医療を施したとは思えない犯罪的なケース。どの業界であろうと犯罪は犯罪として裁かれるべきですが、証拠隠滅が容易であるのがネックになっています。
翌二十二日、慈恵医大病院にて検視を行いました。診断は溺死、おぼれて亡くなったということであります。 警察の方で現場検証もされたようでありますが、その製造したものを見ますと、ノーリツ社製のジェットバスで、昭和六十二年から平成三年の間に製造されたものです。吸入口とは、内壁、内側の壁の下から八センチのところにあるものであります。
全体として管理体制に不備があったことは明らかじゃないかと思うんでありますけれども、慈恵医大病院側はどういう管理体制をとっておったのか、今にして思えば、何かそこに不備、欠陥はなかったのか、こういう点どうでしょう。
○佐藤昭夫君 まず、先日来の慈恵医大病院の放射線源紛失事故の問題で少しお尋ねをいたします。 既に報道をされていますように、アイソトープ病室の貯蔵箱に保管中の五十個のイリジウムのうち二十二個が紛失をした。二個が発見されたが、二十個はなお行方不明のままだということであります。
その君が、その日の午後、突然、心筋梗塞の発作に襲われ、院内の医務室から慈恵医大病院に入院され、翌二十三日には、御家族、医師団の願いもむなしく五十九年の生涯を閉じられました。君の急逝は、私にとりましても思いもよらぬ驚きであります。諸行無常、生者必滅とは申せ、生命のはかなさに身も心もめいる思いを禁じ得ません。深い寂蓼の感に打たれたのであります。
言いかえるなら、慈恵医大病院に収容されるまでの過程で、日本航空として打つべき手があったのではないか。いわばこれは勘ぐりかもしれませんけれども、日本航空自体が、そのことを見る限り、言葉では救出に全力を挙げたと言っておりますけれども、乗客よりもまず事故を隠すことが優先したのではないかと疑わざるを得ない。この関係について、高木社長からお答え願いたいと思います。
これは、具体的には慈恵医大病院が正式に運航乗務員の決められた身体検査をやることができる機関ということに指定されておりまして、その機関から指定された医師という資格を一面では持っております。したがいまして、日本航空の健康管理室という医療施設は、指定された医療機関の出張診療所という性格があるということでございます。他方では、同一の医師が日本航空の産業医でありまして、常勤嘱託という身分であります。
(拍手) 保利君は、本月四日、入院先の慈恵医大病院において、心不全のため逝去されました。 かねての病を押して本国会の開会式に臨まれ、また施政方針演説、各党代表の質問演説中、苦痛を忍んで議長席に着かれましたが、散会直後、辞任願を提出されました。
○成田知巳君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員佐藤榮作君は、去る六月三日慈恵医大病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに、私は、皆さんの御同意を得、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
それから町田市立病院、都南総合病院、昭和医大病院、慈恵医大病院、代々木病院というような病院。それから中野共立病院とか、河北病院とか小豆沢病院、西新井病院、木下病院、四ツ木病院と、指定病児をずっと調べてもらったのですが、一体どのくらいの検査のときに、一般検査と、精密検査というのをやっているか。
なお負傷者は救急車及び付近を通行中の乗用車によって登戸病院、慈恵医大病院ほかに収容いたしましたが、ダンプカー運転手は即死しておりました。結局死傷者は死亡一名、重傷五名、軽傷二十一名、計二十七名でございますが、これはやはり原因はダンプカーが一たん停止せず、直前を横断したため、しかも警報器が動作中であったにもかかわらず踏み切り内に侵入したのであります。 以上簡単でございますが概況を申し上げます。
そんなら慶応病院とか慈恵医大病院に行ってごらんなさいまし。あれだけの大きな規模でも非常に親切にやっていますよ。その点反省するとともに、原因を究明しなければいかぬと思うのですよ。たとえば、私は名前は言いませんが、ある国立病院におると、夜発病すると命を取られるという声も聞くのです。宿直のお医者さんが十分いないわけです。だから、夜中に発病したら、国立病院に入っておったらまず危ないという。
この病院の問題は、巣鴨プリズンにおいて治療ができない、こういう人たちに対しては、ただいまは東大病院、慶大病院、慈恵医大病院それから国立の中野診療所、松沢病院、こういうところへできるだけお願いして治療していただいておるわけであります。なおこれはアメリカ管理当時に、私が先月の十五日からやつたことでありますが、病院におる人たちに対して看護婦を使うことをやつたのであります。